2020-03-25 第201回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号
あるいは、パリ、フランスを訪れた際は、やはりベルサイユ宮殿であるとかルーブル美術館、そこを軸に観光を考えるわけであります。 一方、では、インバウンドの方々が東京にお越しになられたとき、東京国立博物館を主軸に観光を考えるかというと、まだそこには至っていないのかなと。もちろん、そういう方もいらっしゃるでしょうが、それが現状ではなかろうかと考えております。
あるいは、パリ、フランスを訪れた際は、やはりベルサイユ宮殿であるとかルーブル美術館、そこを軸に観光を考えるわけであります。 一方、では、インバウンドの方々が東京にお越しになられたとき、東京国立博物館を主軸に観光を考えるかというと、まだそこには至っていないのかなと。もちろん、そういう方もいらっしゃるでしょうが、それが現状ではなかろうかと考えております。
人類の半分を読者にしちゃった、「セーラームーン」とか「ベルサイユのばら」とか。しかも、そこに歴史があり、日本の例えば「神の雫」というワインの漫画がございますけれども、イタリアとフランスのワインの説明をしていますけれども、それは日本語で説明して、それがフランス語になって行き渡っております。フランス人がフランス語で「神の雫」を見て、フランスのワインの勉強をしていたりするということもありますので。
おまけに、パリに行ったら、凱旋門に行きました、凱旋門とはと一生懸命調べて、毎日日記を書くんです、ベルサイユ宮殿に行ったらベルサイユ宮殿の。二つ目はアフリカ大陸。エジプト・カイロだったですけれども、ピラミッドとはと一生懸命日記を書くんです、調べて。夜中の一時になろうが、おもしろくて寝たくないと。 おまけに、さっきの宮川さんじゃないですけれども、いろいろな教科が全部詰め込まれているんですよね。
先ほど、ウィルソン大統領、国際連盟をつくりましたけれども、結局アメリカは入らなかったんですが、彼が、ベルサイユ会議のときから、基本的には人種差別反対を唱えました日本の代表に対して反対をしてきた。つまり、我々はずっとそういう問題を抱えながら第二次大戦に進んでいった歴史がございます。
何をやったかというと、それまで役所に使われていたあのベルサイユ宮殿を美術館に変えたんですね。だから、あそこだけでも年間九百万人の人が来るという話ですね。日本も今、一千万人になったということで非常に喜んでいますが、もっともっとふえてもらいたい。 日本は、そういう意味で、自然とかあるいはホスピタリティーとかいうことではいいんですけれども、なかなか文化遺産というものがないですね。
あるいは、ベルサイユへ出ていって、あれをベルサイユ宮殿で大展覧会するわけですよね。そういうふうにやって世界へ羽ばたいていくような、そういうコンテンツを作って、そのコンテンツの売り方、見せ方、これも工夫するという一つの僕はモデルだと思っています。 そういうふうに日本のコンテンツに絡む、文化に絡む人たちが動くべきだというのが私の考えです。
また、フランスでは、ベルサイユ宮殿などを撮影のためにロケ地として開放するなど重要文化財の公開にも非常に積極的です。カナダでは、税制優遇制度は同じくありますが、映画製作に当たりカナダ人を雇用した場合、人件費の一六%を税額控除、これには上限がございません。 また、今度はニュージーランドの話をしますと、大型予算作品製作補助金というのがあります。
作品を作ると、ここは国立演劇センターという中核の劇場なんですけれども、今このサルトルビルというのはイブリン県という、日本でいうと埼玉県の、パリの隣にあるような県ですね、あのベルサイユなんかがあるところですけれども、ここを今ずっと私の作品が回っています。 ですから、埼玉のさいたま市で作って、それが上尾市とか春日部市とかの市の市民会館を回っていくんです。
ただし、ベルサイユ条約を承認しなかった過去の例からいって、上下両院が過半数で承認をするという、こうした新たな条約、連邦議会が承認した行政協定、こういった規定を設けてNAFTAなどを承認しているわけですよ。 そうした意味では、今回これは、二分の一の、今ほとんど行われている連邦議会が承認した行政協定にも乗っかってこない。
○菅(直)委員 堺屋太一さんという方が日本政治のベルサイユ化ということを言われております。どういうことかといいますと、ここにおられる人みんなとは言いませんが、二世、三世の政治家の多くが、選挙区は田舎にあるけれども、小学校から東京で生活をしているために地方のことは実感として持っていない。
実は、ワシントンに日本大使公邸というのがありまして、行くと本当に立派なシャンデリアのある大マンション、日本語の言うマンションではない、大マンションでして、納税者として今時こういうことをする必要があるんだろうかと、まだベルサイユ宮殿の外交をやっているんだろうかと。
そこで、日本は一つに、ベルサイユ会議のときに初めて反人種差別の条約を提案した国でもありますし、はっきり言いますと、植民地支配について一国の元首がきちっと公式に謝った国というのは、私、国際法専門ではありませんけれども、日本だけではないかと思います。そういうことはアフリカにとって極めて価値的に、価値観的に大きな意味がある。そういうことをもう少しアピールする必要があるのではないか。
私は、きょう、労働の問題を少し長い時間軸あるいは広い空間軸で論じてみたいと思うんですが、ILO憲章となったベルサイユ条約、国際労働条項の一部にはこう書かれています。多くの人々に不正義、困苦、貧困をもたらす労働の条件が存在し、それによって引き起こされる紛争がしばしば世界の平和と調和を危うくする。
かつて、第一次世界大戦のときにはベルサイユ条約というのがありました。ベルサイユ条約においては、すべての責任はドイツにあるんだということで、まさに断罪条項というのがつくられ、そして責任条項というのが設定され、全部ドイツが悪い、ほかの国は悪くない、ドイツだけが悪いんだと。
フランスではベルサイユを訪ねました。ベルサイユに行ったと言うと観光に行ったんじゃないかと誤解を受けるかもしれませんが、ベルサイユ宮殿の中には両院合同会議、コングレと呼ばれているそうですが、その議場があります。この議場は十八世紀につくられたものがそのまま使われておりますが、第四共和制までは両院議員による大統領選挙に使われておりました。
五月四日というのは、一九一九年、第一次世界大戦の終戦を受けて行われたベルサイユ講和会議、ここでの、ドイツが確保していた山東半島の権益を日本が引き継ぐという、こういった決定が下され、これに対して北京を中心とした学生たちが反日デモを行い、それが反政府に拡大し、それが一九四九年の中国革命につながると、言わば中国革命の原点としての反日愛国運動のときであります。
世界にはいろいろな条約があって、例えば、歴史的には、ベルサイユ条約、ポーツマス条約とか、地名をつけた条約が後世に残っています。最近でも、ラムサール条約、ワシントン条約などと地名がつけられています。何としても、この日本の地名がついた議定書をしっかりと立派なものに、そして、後世に誇れるものに仕上げていかなければならない、私はそう考えます。
二十世紀に入り、第一次世界大戦の戦後処理を討議したベルサイユ会議で決定され、一九二〇年から実施をされました。 国際連盟規約は、戦争に訴えざることを加盟国の義務として定め、国交断絶に至るのおそれのある紛争が生じたら必ず裁判に付すべきことなどを定めました。
ですから、今「ベルサイユのばら」を例えられましたけれども、私は日本人ですから忠臣蔵を例えますけれども、そのように、我々はもともとスタートが百年おくれているわけですから、今の普及率から考えればやむを得ない事態もあります。
大臣は宝塚出身ですから、「ベルサイユのばら」の話はよく御存じだと思います。実は一説には、フランス革命は下水道がその当時パリに普及していなかったから起こった、そういった話があります。 ルイ十四世のころ、フランスの宮殿は今のルーブル美術館のところにありました。そのとき、ルーブル美術館のそのあたりは森林になっておりまして、その当時、下水道がなかったものですから、市民の方々はその森林に排せつをしていた。
ここで大事なことは、ベルサイユにしてはならないとよく言われるんですが、ルイ十六世という人がベルサイユをつくったときに、パリから馬車で大体二、三時間の距離、今、自動車で一時間弱でございますが、そのぐらいの距離、つまり日帰りできるところにつくった。社交機能は全部パリに残ったままで、官僚と貴族だけ行ったんですね。